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追悼 桜塚やっくんのこと [映画と人生]

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私が撮影で関わった自主映画「イタイ・オモイ」で主演を務めてくれた桜塚やっくん(本名・斎藤恭央さん)が交通事故で亡くなるという悲報が伝えられています。

撮影が2010年でしたからあれから3年。最初にお会いしたのは2010年の6月、本読み・衣装合わせの時でした。スケバン恐子としてのテレビでの活躍は何度か拝見していたので、ああいうキャラを想像していたのですが、実際の御本人は静かで大人しい方でした。役に対し真摯に取組むその姿勢は好感が持てました。

実際撮影の6日間の間もまじめに役に向き合っておられたと思います。
自主映画なのでどうしても待遇の面では恵まれませんが、文句一つ言わず私からの指示にも快く応じてくれました。
まだまだこれからというその時に、御本人も無念のことと思う。

かつて一緒の現場の空気を共有した仲間の一人として御冥福をお祈りすると共に安らかな眠りにつかれん事を願ってやまない。

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あらためて自主映画「イタイ・オモイ」を紹介させていただきます。





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東宝撮影所と円谷特撮への憧憬 [映画と人生]

前回日本映画撮影監督協会技術委員会主催のジャイロ体験会のお話しをしましが、参加した最大の動機が実は東宝撮影所(※現・東宝スタジオ)に行けるということでした(笑)

今までこの仕事をしてきて、関東圏にある5社(東宝・大映・松竹・日活・東映)スタジオのなかで何故か唯一縁がなかったのがこの東宝だったからです。一番憧れていた撮影所だったのに(笑)

少年時代から数多くの映画を見て来た私ですが、その根幹にあるのはやはり東宝の怪獣映画。
夏休みや冬休みに公開された東宝の怪獣映画をおにぎり持って初回から最低でも2回、時には3回も見ていました。今の様に入れ替え制などないから出来た事ですが、ほぼ半日は劇場の暗闇に浸っていたわけです。
そんな私が憧れたのは特撮監督円谷英二氏。そして東宝撮影所。

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こんな思い出があります。

昭和45年(1970年)私が小学生の頃に円谷氏が亡くなり、翌年小学館から「円谷英二写真集」が発売された事を知りました。
しかし、本屋で注文するも在庫無し。発行部数が極端に少なかったのです。
時既に遅し。しかしあきらめきれなかった私は発行元の小学館へ直接電話、応対していただいた方から「目的が関係者に配る為のもので既に会社にも在庫はない」との返事、がっかりする私に「円谷プロにならまだあるかもしれない」。そしてその方は親切にも円谷プロの連絡先まで教えてくたのです。私の落胆を哀れに思ってくれたのでしょう(笑)
さっそく円谷プロに電話すると「保存用に2冊だけとってある」とのこと。「売ってほしい」と懇願すると「じゃ、直接円谷プロにいらっしゃい」と言ってくれたのです。

日曜日、友達を誘って当時住んでいた川越から世田谷まで。
地図を見ながらたどり着いたのは一見すると普通の住宅のようにも見える建物、しかし巨大なウルトラマンの人形が入口で迎えてくれています。まぎれもなく円谷プロです。
事務所らしき入口で挨拶し、応対してくれた人に来意を告げると用意してくれていた「円谷英二写真集」を渡してくれました。代金を支払い何度もお礼を言って帰ろうとすると、「怪獣倉庫見て行くかい?」と予想もしていなかった言葉を。舞上がりながらも、もちろん好意に甘えさせてもらいました。
事務所の隣にある階段を昇るとそこにはテレビで見た怪獣達がずらっと吊るされている光景が。
小学6年生のその当時カメラなんて持っていなかったので写真は一切ないのですが、40年以上前のことを昨日のことのように鮮明に覚えています。

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これが42年前の「円谷英二写真集」初版。ケースのパラフィンは自分で貼りました。
当時の価格で2,200円。コーヒー一杯100円の時代なので今だったら1万円以上でしょうか。
今でも私の一番の宝物です(笑)

夢見心地の帰り道、円谷プロダクションは東宝撮影所の近くであることは知っていたので坂道を下っていくとあの独特のかまぼこ型ステージ群が見えてきました。
もちろん中に入る事はできませんので撮影所の外壁沿いを探検するようにわくわくしながら歩いていくと少し傾斜した畑があり、そこからなら撮影所内が良く見えそうな場所を発見。
昇って撮影所の方向に振返るとそこにはあの松林宗恵監督(「連合艦隊」「世界大戦争」)が「特撮の道場」と呼ぶ特撮大プールの光景が広がっていました。
当時東洋一とうたわれた特殊撮影用大プールです。大小の波を起こす波起こし機。見事な曇天の空が一面に描かれた巨大な背景ホリゾント。ここで数々の海戦シーンや怪獣達の海でのシーン、時には実物大の小舟などを浮かべて撮影が行われた伝説のプールが眼前に・・・先程カメラを持っていなかったことを嘆きましたが、もしカメラでパチパチ写真を撮っていたら今ほど鮮明な記憶にはならなかったかもしれません。
少しオーバーかもしれませんが、その光景は今でも私の網膜にしっかりと焼き付いているからです。

大プール01.jpg
これが大プール!(小学館 円谷英二写真集より)

思えばこの体験が、映像の道を目指す事を明確に意識させたのかもしれません。
この数ヶ月のちには近所のカメラ屋のおやじさんから借りたW8の8ミリカメラで飛行機の模型を撮影していたからです。夕陽を背景に飛ぶ模型飛行機、そのショットが私の撮影人生の原点であり出発点となりました。

東宝撮影所こそがまさに夢を作り出す工場。そこから生まれた様々な映画群。黒澤明の「七人の侍」「赤ひげ」、本田・円谷の「ゴジラ」「ラドン」「モスラ」などなど・・
「夢中になれるもの」・・それがあったからこそ今の自分があるのだということを改めて思うのです。
名称は東宝スタジオに変わりましたがこの地が私にとっての「聖地」なのだということはお分かりいただけるのではないでしょうか。

・・・しかしこの大プールが撤去されるという日がやってきてしまいました。
「特撮の灯が消える」・・そんな感傷さえ沸き起こる事態です。時代の流れ・・
元々水は特撮には不向きと言われてきました。通常ミニュチュアが25分の一の縮尺であれば水も25分の一にならねければならないはずですが水の分子を小さくできるわけもなく、ミニチュアと水は相性の悪いものと考えられていたからです。
しかし例え縮尺比率的におかしくてもそれらを越える「何か」がこのプールで描かれてきたのです。
それは見る側の我々も想像力で補っていたからかもしれません。
CGでは何でもリアルに再現されてしまうのでどうしても見る側は受け身一方で見てしまい、想像力を働かせる場面が少なくなってしまった様に感じます。
子供の頃、砂山やお風呂の中にも自由に世界を描ける時期があります。
そんな感性を継承し大切にしたものがアナログ特撮の世界なのかもしれません。

そして「道場」であるプールは失われました・・・


体験会が終わり帰路につこうと所内を歩いていると、小さなプールを発見しました。

東宝小プール03.jpg

大プールに対して小プールと呼ばれたプールです。
このプールには特徴があります。その側面が掘り下げられており、そこの窓から水中の光景を撮影できるように設計されていることです。
「海底軍艦」「緯度0大作戦」、「キングコング対ゴジラ」のシーホーク号の破壊シーンなど、潜水艦の航行や水中の爆発などに使われた伝説のプールです。
実写の疑似水中撮影にも使われたようです。
水中の視界や透過するリアルな光がミニチュアに存在感を与えます。

印象に残っているショットとしては、「サンダ対ガイラ」冒頭で沈没した船舶を捉えたショットを思い出します。水面から差し込む光がユラユラと船の上に光の波を描いていました。

東宝小プール01.jpg
東宝小プール02.jpg

ここに円谷英二監督も立っていた・・・
特撮の夢(映画の夢)が紡がれた貴重な場所なのです。

それはここ東宝撮影所で描かれた夢を見て育った私にとっても・・・

今回の訪問でなんだかパワーをもらった気がします。

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