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原田芳雄さん(映画「出張」)の思い出 [映画と人生]

原田さんの突然の訃報にただただ驚いております。
また一人アクの強い俳優さんがいなくなってしまいました。

私が原田さんと御一緒させていただいた作品は、

「出張」 1989年 沖島勳 監督作品 ・ 撮影 大津幸四郎
「眠れる美女」 1995年 横山博人 監督作品 ・ 撮影 羽方義昌

の2本です。

私は両作ともに撮影者ではなく撮影助手のチーフという立場での関わりました。

両作品とも思い出深いのですが、特に「出張」はピンク映画に毛が生えたぐらいの予算(失礼!)だったこともあり、その低予算であるがための忘れられないエピソードがあります。

IMG04.jpg
前列に原田芳雄さん、石橋蓮司さん。前列左から二人目白い帽子が監督沖島勳氏、前列カメラを抱えているのが大津幸四郎氏、画面一番右が「釘と靴下の対話」の平野克己氏
中央付銃を構えている人物後ろで手を組んでいるのが私
※写真に掲載されている方で何か問題のある方はこちらhttp://pangaea.movie.coocan.jp/index.htmlを通して御連絡ください。すぐに対処いたします。



「出張」の粗筋ははこちらで、
http://movie.goo.ne.jp/movies/p18131/story.html

この「出張」は東京都内と山形の2ヶ所で主に撮影された作品です。
山形のある温泉近くの空き地にゲリラ組織の基地を作り、そこで一週間ほどロケを行ったときのことです。
ある日電車事故で身動きがとれなくなったサラリーマンが途中下車した先で、今も国家権力壊滅の為に闘うゲリラの人質になってしまうというストーリーです。
原田さんはこの何だかよく分からない(笑)ゲリラ組織の隊長役です。
現場的には限られた時間内で昼のシーンもナイトシーンも撮りきらなければならない強行スケジュールでした。
この時スタッフは近くの木造の古い崩れそうな湯治場に宿泊していたのですがそんなハードスケジュールですからまともに寝る時間などははほとんどありませんでした。
余談ですが、私などはあまりの寝不足のせいで宿に帰る車から前方の木々に人の首がぶらさがって笑っている幻覚を見たほどです(笑)
それから宿が自家発電のため夜はたしか9時ぐらいで電気の供給が止まってしまいナイトロケを終えて宿に帰っても電気シェーバーを持参していた私は髭を剃ることができず、仕方ないのでそのままのばし続けたら結構周りの評判がよくそのままのばし続けて20年過ぎてしまいました。(※現在は2006年の病気をきっかけにひげは生やしていない)

一方キャストの方々は原田さん含め少し離れた温泉街の旅館に宿泊されていたと記憶しています。
原田さんはこの時日産のサファリでマネージャーの方と現場まで毎日通っておられました。
そして待ち時間等の会話の中でそのサファリが買ったばかりの新車だということが分かりました。当時は車の選択まで原田さんらしさを感じたものです。
それまで教育映画や記録映画の仕事が多かった私にとっては役者「原田芳雄」と言えばそれまでスクリーンで観られる言わば雲の上の人でしたし、今作の主演石橋蓮司さんや松尾嘉代さん、亜湖さんなどの役者さん達と仕事していることだけでも私は幸せだったのです。
原田さんはスタッフ、キャスト誰とでも気さくに話される方でした。待ち時間の時など若い制作進行さんなどをかわいがっておられたのが印象に残っています。
これは今作が小規模で家族的な体制だったせいもあるのかもしれません。
ある時など原田さんが待ち時間を利用して制作の若者と一緒に全員の夜食としてカレーまで作ってくれたこともありました。
そうやって寝不足で皆フラフラになりながらも何とか撮影は進行していったのですが、ある日大事件が起きます。
その日も昼の撮影が終わり、いつものゲリラ基地のナイトシーンの撮影をしていました。撮影自体は特に問題もなく進行していたその時・・・「ドーン」という轟音とともに巨大な火柱が上がったのです。
見れば火柱の上がったのはいつも制作進行さんが夜食作ったりしている少し離れた林の向こう側です。火柱はおおよそ5、6メートルは上がったのではないかという勢いで、かなり背の高い木の枝が燃えそうな勢いです。いや実際に燃え始めています。
スタッフ、キャスト一同が騒然となりました。
「早く消せー!」と怒号が飛び交います。その直後ですカメラの前で今の今まで芝居をしていた原田さんが勢い良く起ち上がったか思うと「○○(マネージャーの名)早く車を動かせ!」と怒鳴りながら一目散に愛車に向かって走って行くのです。
原田さんの新車サファリはこの火柱の側に駐車してあったのです。
大変失礼な言い方かもしれませんが、この時私は原田さんも我々と同じ人間なんだなぁーと感じたのです。決して雲の上の存在などではなく同じ生活者としての「原田芳雄」を見たと。
さて火柱の原因ですが、制作進行さんが焚き火にお湯を沸かそうとかけたやかんが原因でした。連日の強行撮影で朦朧としていた彼は、水の入ったやかんではなく照明用発電機の為に用意されていたガソリン入りやかんを火にをかけてしまったのです。
そりゃー爆発もします(笑)
彼はガソリン入りのやかんがあることはわかっていたようですが、連日の疲れが出たのでしょう・・・
さて原田さんの車ですが、原田さんとマネージャー氏の素早い対応で無事火柱から避難することができ事なきを得ました。
失礼かもしれませんがこの時の原田さんの慌てぶりが親しみやすい「人間・原田芳雄」を垣間見せてくれた瞬間だったと懐かしく思い出されます。

今回の突然の訃報に驚き、その存在感の大きさをあらためて知らされました。
役者「原田芳雄」は間違いなく日本映画さ支えた名優だったと思います。

一ファンとしてその素晴らしい演技の数々をこれからもスクリーンの中で拝見し続けたいと思います。
御冥福をお祈りいたします。



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Austriaオーストリアへの旅 [映画と人生]

久々にこのブログ本来のテーマに戻ってきました(笑)

今から20年近く前だったでしょうか・・・
車のコマーシャル撮影でドイツのミュンヘン→オーストリアのグロスグロックナー→ウィーンへと巡ったことがあります。

ミュンヘンでの撮影を終え、現地で雇ったセカンドアシスタントと二人機材車で移動します。
お互いに英語は辿々しいのですが楽しいドライブです。
やがて国境を越えると道はきびしいカーブの連続になります。

予断ですがこの時走行中にブレーキを使いすぎて「フェード現象」が起きてしまった時は「もう駄目だ!」と思いました
運転していたドイツのアシスタントさんがブレーキを何度も踏みながら叫んでいます。
しかし車はスピードが落ちるどころかグングン加速していきます。
幸い、下りの先に広い駐車スペースがありそこの土壁に車を横当てして何とか停まったのですが(笑)

この旅で一番印象深かったのがここグロスグロックナー(Großglockner)。
オーストリア国内最高峰の山です。

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まるでハイジの世界がそこにありました(笑)

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泊まったホテルは瀟洒な山小屋風で(さすがにベットはワラではありません(*>▽<*))、すぐ脇には氷河がよこたわっているという環境です。

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このホテルでもサプライズがありました。
当時のドイツ首相のコール氏が同じホテルに泊まっていたのです。
お忍びということらしく、ものものしい警備等一切ありません。
ロビーに居る時周りがざわついたので何事かと見ると、皆ある人物に道を空けて最敬礼しています。
後で「あれはドイツのコール首相だ」と聞いてビックリです。

この時は山道を走行する商品車を撮影に来たのですが、なかなか撮影に向く天候になってくれません。
車の撮影では常識ですが、晴れではなく曇りをねらいます。
ボディに強い太陽の反射を受けてしまうと本来のボディの持つ美しさを損ねてしまうからです。
ウェスカムという空撮用防振装置とオペレーター2名をアメリカから呼んでいたのでプロデューサーも気が気ではなかったでしょう。

Austria_0001.jpg

2、3日の予定が一週間近く延びたと記憶しています。

そしてどうにか撮影をむかえました。
走行するワインディングは2、3キロですが、前後に車を入れたくないという意図から5、6キロの前後で全ての車をストップさせての撮影です。

後で聞いたのですが、車を止められた人達は撮影だと聞くと皆快く待っていてくれたそうです。

それからこの時のオーストリアでのコーディネイトをしてくれた人物が過去に「サウンド・オブ・ミュージック」にも関わっていたことを聞いた時は何故か嬉しくなりました。



作者H.P. : http://pangaea.movie.coocan.jp/index.html



命の価値 [映画と人生]

2006年の白血病発症、その後の長い治療、そして今年の脳梗塞。

思えば様々人々の手によって今の命がある。
臍帯血を提供していただいた方、医師や看護士の皆さん、救急隊員の方やヘリのパイロット・・・

何人の人に助けられたのだろうか。

一体私の命にそんな価値があるのだろうか???



介護ー壊れていく母 [介護]

表題の「旅する映画」からは外れますが・・・

80歳になる母。
アルツハイマーからくる幻聴、被害妄想。
最近では失禁も目立ってきた。

被害妄想的な症状は10数年前から出てはいたのだがここ数年で顕著になってきた。
3年前闘いの末精神科を受診させアルツハイマーの診断。
その直後に骨折→入院→介護施設→自宅(週2回のデイサービス)。
介護施設では精神科から処方されていたアリセプトが使えなく暫く中断。
このところの症状再燃に精神科にて服薬を再開。

82歳の父と同居。
父もこのところ物忘れが目立ってきた。

疲れる・・・
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